心理カウンセラー美容師ブログ【4】~スキルで負けてマインドで勝つ~

2月です。本格的に気温が低く、寒くなってきました。
冬には、
《冬将軍》がいて、《鍋奉行》がいて、
あと何がいるの?
《こたつ大名》とかいるの?
などと、くだらないことを考えております。
さて、私は約5年間サロン兼ヘアメイク事務所で働いていたのですが、
その後、一年間、SABFAというヘアメイク学校に通います。
なかなか入学するのも難しい学校で、
この学校に入学される方は大体ベテラン美容師さんたち。
2~3回受験される方も多くいらっしゃいます。
『まあ試しに受験してみっか』
と軽い気持ちで受験したのですが、
受かってしまいました。
当時私は24歳。
20人の生徒のうち、私より年下は一人だけ。
まわりは美容師のベテランだけでした。
ヘアやメイクの仕事はしていたものの、
まあまわりの生徒さんたちとは、経験も実力も雲泥の差です。
『やばい・・・。ついていけない・・・。』
当たり前です。24歳の美容師なんて
青二才ですから。
技術や経験は当然劣っていたのですが、
当時の私はとにかく《知識》が少なすぎました。
《知識》というのは美容だけの知識だけではなく、
それに関連するあらゆることの《知識》です。
・ファッション
・歴史
・色彩学
・解剖学
・デッサン
・などなど・・・。
正直にいうと悔しかったです。
青二才と自覚はしていたものの、
他の生徒に劣っていることと、自分の未熟さに。
まあ死ぬ気で勉強するわけです。
技術も知識も。
必死に貯めたお金も払っているし、時間も無駄にしたくないし、
なにより《自分に悔しい》
結果首席で卒業します。 ←自慢です。
結論から言います。
この自負がのちに大失敗を招きます。
卒業後、私はフリーでヘアメイクの仕事をしながら、
新宿のヘアとエステの併設サロンで仕事をすることになります。
サロン業務とヘアメイクの現場仕事の両立で、
いろいろバタバタしたのですが、
入社して1年後、私はサロンの店長に抜擢されます。
なんですと?店長ですと???
やったーーーー!!
絵にかいたような有頂天。
今までの経歴や仕事が認められたことが、
正直とてもうれしかったんです。
今まで、人の上に立って仕事をし、
チームをまとめてきたことなどありません。
しかし、私は《自負》があった。
誰よりも勉強し、技術も学んできた。
『私はいける!!』
『きっとスタッフも私についてきてくれる!!』
『スタッフはみんな年上だけど!!!』
え?
スタッフ全員年上?
そうです。
スタイリストだけで構成されているサロンで、
アシスタントはいません。
スタイリストが7名。全員年上。
私の地獄の始まりでした。
私はスタイリストたちに
『もっとこうしたほうがいいですよ。』
『〇〇さんはここが悪いので、直してください。』
『なぜもっとこうしないのですか?』
などと、自分の考えを押し付けてしまうわけです。
なぜなら、自慢の経歴と、1番の売り上げがあるという
《自負》があったからです。←バカ
先ほども申しあげましたが、
スタッフは私より年上の美容師さんです。
私よりも経験があり、知識も技術もあります。
当然、《プライド》もあります。
私はスタッフの話も聞かず、
スタッフを理解しようとせず、
ただ、自分の意見を押し付ける
バカな店長になっていたのです。
自分だけが正しいことなんて、絶対ないのに。(恥ずかしい・・・。)
店は日に日に険悪なムードになっていき、
たびたび言い争いにもなりました。
『なんで誰もわかってくれないんだ!!』
↑(まだ自分の愚かさに気づいてない。)
想像がつくかとは思いますが、
人間関係が悪くなると、なかなか修復できません。
店の雰囲気も悪くなり、売り上げも下がります。
私が一番《行きたくない店》を
私が作ってしまっていたのです。
身勝手なジレンマの中、半年後、私は倒れます。
身も心も疲れてしまい、入院までとはいかず、
自宅で1週間ほど療養しました。
職場から離れ、人間関係から隔離し、
ようやく気が付き始めます。
『あ、俺バカだ・・・。』←遅い。
職場に戻った時、私は
《働き方》を変えます。
スタッフ全員のアシスタントの仕事をしました。
店長の肩書と、自分のお客様を担当しながら。
コミュニケーションをとりながら、
自分の考えや思いを
行動で示し、
少しづつ関係も修復し、
店の雰囲気も改善されていきました。
店長の仕事とは、スタッフ全員をサポートすること。
そう心に決めて、約7年役職を務めさせていただきました。
肩書を持っても、頭と腰は低くありたいものです。
この記事へのコメントはありません。